森昇/Shou Moriの自己紹介

簡単な自己紹介

森昇/Shou Mori(もり しょう)
岐阜県岐阜市生まれ岐阜在住。福岡大学スポーツ科学スポーツ科学科卒業。

4年間会社員として働き、2016年4月よりコーチング理論と月300冊以上の読書で得た知識を元にビジネススキル・ビジネスプラン・人脈等ゼロの状態から独立。日本で唯一の社畜奴隷解放クリエイター。

人生を変えるラストチャンスであり、将来の漠然とした不安や過去の囚われに悩んでいる、人生を変えたいけど具体的な変え方が分からない、自分の中に軸がなくてフラフラして落ち込む、いまの仕事がとにかく辛い、

という方に向けて認知科学、脳科学などの科学技術をベースとしたパーソナルコーチングと、

コーチングによる正しいマインドの使い方とビジネス理論を組合わせて自分の力で社会に価値を出していくFCMメソッドを

岐阜市・名古屋市を拠点に展開。

岐阜や名古屋はもちろんのこと、東京や茨城、アメリカシアトル、福岡など、いろんな地域の方とコーチングセッションを行いました。
>>セッションを受けて自分で人生を切り拓いた方達の感想

2017年からは職場の雰囲気や売り上げで悩む起業家や中小企業の経営者向けにコーチングやビジネスのアドバイスをしたり、企業から社員コーチングの依頼を受けたりしています。

活躍できるコーチになるための独立して活躍したいコーチ専用マネタイズ講座を開講し、マンツーマンでサポートをしています。

またぼく自身がお世話になったプロコーチ養成講座のサポートも行っています。

2018年からは自身でプロコーチ養成講座を開講。『開拓者として自分の人生を切り拓く』をテーマとして、コーチング×ビジネスを理論と実践を合わせて、使えるレベルまで落とし込む講座としました。

その他には、マインドと身体の両方から科学的なアプローチが出来る陸上競技100m200m専門で実業団・プロ・指導者向けの陸上短距離100m200m専門マインドコーチとして活動しています。

人生のテーマ

脱憂鬱&脱社畜をして、自由意志で自分なりの幸せ・価値基準で生きる

スポーツを勝利至上主義から身体芸術に昇華させる

を人生のテーマにコーチング活動やセミナー・イベントを開催したり、読書の楽しさを広めたり、記事を書いたり、ほかにもいろいろやってます。

このサイトのテーマ

すべての人が、心の底からやりたい仕事で楽しく生きる」をテーマに本サイトを運営しています。

 

とまぁいろいろと書いてますが、最近はやってることが多すぎて親しい人には職業:森昇といってます。

自分の名前で生きる心地良さ。肩書や資格に囚われた枷を外して職業を自分で創るからこそ上手くいく時代でもある。

2018.07.29

 

<各SNS>

YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCOKrxafBo4zpLWj6pZXH4WA

Twittre:https://twitter.com/Mo_uriS

Facebook:https://www.facebook.com/Shou.Mori1989

LINE@:https://morishoumc.com/coaching-line

 

以上が簡単な自己紹介です。

それでは、次から過去のお話です。

 

子どもの頃、人と違うこと、嫌われることが怖かった

2歳の頃から母子家庭で育ちました。小さかった頃に何回か父親だった人と遊んだことありますが、今では何も思い出せません。

 

生活の面では母親がかなり頑張ってくれたので、特に不自由を感じることがなかったです。

 

それと幸いなことに、今までイジメを受けては来なかったけど

「母子家庭ねぇ」って哀れみを持たれることが多々あり「あぁ、ぼくはこの人達とは違う世界の人なんだ」と思うようになりました。


人はもともと孤独って言ってるのはこういった経緯から始まっています。

孤独が寂しい人の勘違いは、そもそも人間は孤独だということ

2017.08.05

 

だけど矛盾してるけど、孤独を感じると同時に周りの人達に見捨てられることが怖かったです。

友達や周りの人に見捨てられ、本当に一人ぼっちになってしまったら死ぬと思っていました。


だから人と違うことをしないように必死に話を合わせていたり、嫌われないために他人の顔色を窺って居ました。(今とは大違いな子供時代です笑)

森昇、ゲームにドハマりする

そんな毎日の中、ぼくが一番心を安らげることが出来たのは、家族といる時と、ゲームをしている時と、海外の小説を読んでいる時でした。

特にゲームにはハマりました。


当時はゲームボーイと任天堂64が大ヒットしていた頃で

ポケモン
マリオカート
ゼルダの伝説など

ゲームを学校と睡眠以外の時にぶっ通しやるくらいドハマリしました。

 

ポケモンやゼルダの伝説に至っては、何度も何度も全クリをして、全キャラクターの名前や目をつむってもどこになにがあるのかってことまで当てることが出来るくらいハマりました。

お陰で1.5あった視力は悪くなり、小6からはコンタクトレンズをつけることになりました笑

 

さらに、10歳くらいはゴールデンエイジといって、運動能力が一番向上する時期なんですけど、僕はほとんど運動をせずゲームばかりしていたので、運動音痴になってしまいました笑

どれくらいの運動音痴かと言うと、スポーツテストがA~EランクのEを取るでした。ソフトボール投げでは8mが最高で、50m12秒くらいのポンコツでしたね。

短距離の実業団やプロ、指導者にコーチングをしている姿とはとてもかけ離れています。

 

「将来の夢」が。。。描けない!

小学校の卒業文集で、「将来の夢」を書くことになっていたんですけど、ぼくは書くことができませんでした。

いや、書いたことは書いたんですけど、わざわざ先生が家に電話をかけてきて「あと提出してないの森だけだから、今すぐ学校に書きに来なさい!」と言われ、その場をしのぐ為に適当に書きました。

 

じゃあ何で、将来の夢について書けなかったかというと、子どもながらに周りの大人たち、テレビに映っている大人たちが誰も楽しそうに仕事をしていないと感じていたからです。

 

ぼくは人に嫌われたくないがために人を観察する日々を送っていましたが、自分が知っている大人たちは誰一人として楽しくなさそうだったんです。

 

だから将来の夢と言われても、「あれやりたい」とか「これやりたい」ってのは全く思いつかなかったし、未来に希望が持てず、大人になるのが嫌で嫌でたまりませんでした。

 

だけど、ぼくは中学で自分の人生を変える運命的な出会いをします。

 

森昇、陸上競技に出逢う

中学生になると、運動音痴にも関わらず陸上部に入りました。

 

運動音痴の僕が何で陸上部に入ったかというと、文科系はなんとなく嫌だったし、道具を使うスポーツは苦手だし、柔道等みたいに痛いのは嫌だったからです。

でも、帰宅部はなんか青春してない気がしてもっと嫌でした笑

 

そんなこんなで、消去法で考えていった結果、残ったの陸上部でした。

だけど、ぼくは足は遅かったけど走ること自体は好きで、マラソンは辛いから嫌いだったけど、かけっこ(100m、200m)は好きだったんです。


走っている時に自分の世界が変わるのが好きだったし、走っている時に頬に当たる風が気持ちよく感じるのも好きでした。

 

そして、当時入部した時に「せっかくだから何か目標を持とう!」と思って色々と調べた結果、3つの夢を持つようになりました。

  1. 全国大会出場
  2. 100mで10秒台
  3. 200mで21秒台

この3つがぼくが初めて心からやってみたいけど、入部当時の自分では無理だと思えるような夢でした。

コーチング的に言えば、現状を超えたゴールですね。

このまま今の状況を続けても、100%達成することが出来ない。

だけど本心でやってみたいと思えるデッカイ夢が現状を超えたゴールとコーチングでは言います。

 

なんでその夢を持ったかは詳しく覚えてないんですけど

理由の一つは、とにかくそれがかっこいいと思ったからです。

 

なんだかかっこよく、「自分がそれを達成したら。。。」って考えたら嬉しくなりました。

ぼくにとってはその3つが初めて持てた夢だったわけです。

 

でも実際、運動音痴すぎる僕が部活で練習をすると

  • 誰にも走りでついていけない、
  • 体力なさすぎて最後まで練習できない、
  • 運動音痴すぎてなかなか言われたように身体を動かせない。
  • 試合に出れば、最下位が当たり前。

という、全国大会出場とか100m10秒台で走りたいとか言う以前の、戦力にもならないレベルの選手でした。

 

なので先輩からは

「いても意味ないから辞めたら?」とか言われたり

「お前が全国大会とか絶対無理」とか言われたり

「100m10秒台や200m21秒台なんてなに夢見てんのw」

って言われたりもしました。

 

まぁ、当時のぼくからしたら戦力にもならないわけだし、なんせ現実とはかけ離れている夢だったから、そういわれるのも無理はないわけです。

ゴールを言えば、ドリームキラー(夢を批判する人)が出てくるとはまさに教科書通りですね笑

 

だけどぼくはどんなに批判されても、夢を持っていない、自分がこころからやりたいことがなくてつまらない生活には戻りたくはないと思いました。

 

どんなに夢とかけ離れていても、夢を持てるというのは幸せなことで、それに突き進んでいける時ってのは人生を充実させてくれるというのをぼくは夢を持ったことで知ってしまいました。

 

だからぼくは夢を諦めることができなかったから、ひたすら練習をしました。

そう、すべては夢を叶える為だったんです。。。

 

大怪我。「夢を諦める必要がある」と宣告される

そしてぼくは中学1年の秋に、今までのハードな練習の疲労が蓄積され、腰椎分離症という怪我をしてします。

 

腰椎分離症ってのは、骨盤の近くに腰椎があるんですけど、その部分が剥がれる怪我です。

歩くのはまだ大丈夫だったんですけど、走ることが痛すぎてできませんでした。

 

医者に相談したところ、「このまま治らないと一生痛みが消えないから、陸上を辞めた方がいい。君は優秀な選手じゃないからリスクを取る必要はない。」と言われてしまいました。

 

その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になりました。

なぜなら、心からやりたいと思える夢を手放せと宣告されたからです。

 

絶望のふちにいたぼくを救った一言

その夜、母親に相談しました。

医者に怪我のこと相談したら辞めろって言われた。だけど自分はやりたいけど、どうしたらいいかわからない

 

そしたら母親がこう言いました。

この先、辞めて後悔しなければ辞めればいいけど、少しでも後悔すると思ったら辞めない方がいいよ

 

この言葉を聞いた瞬間、身体に電気が走りました。

ぼくは「走ることを辞めたくない。夢を叶えたい」という自分の本音に気が付きました。

 

ここでぼくは自分の気持ちに気が付き、後遺症を持つかもしれないし目標が叶う確率なんてほぼゼロに近いけど、自分が初めて心の底からやりたいと思った夢に向かっ突き進んでいくことを決心します。

 

つまりは「ゴール(目標)側の自分から見て、【今この瞬間】どういう行動をするべきか」ということを考えるってことです。

 

ぼくはゴール側から見たらここで陸上を辞めるというのは自分らしくないと思ったし

辞めた方がこれから待っている過酷な運命に進んでいかなくても済むけれど

辞めた場合の事をイメージしたら陸上を辞めるということは自分のWant toな気持ちに「嘘」をつくことになる。

 

そして「嘘」は未来の自分を蝕み

この先自分の人生が思ったようにいかなかったら

あの時陸上を辞めなければもっと違った人生を進んでたのかなぁ

って自分を否定し、傷つけることになると思いました。

 

ぼくたちは、「幸せになる」と覚悟して決断して始めて人生が変わっていくということを実感しました。

 

「走ることを辞めたくない。夢を叶えたい」と覚悟して決断したその瞬間

僕の陸上競技に対する考え方、ぼく自身の人生は大きく変化します。

 

決心したその日から

腰椎分離症を治しながら、夢を叶える

この相反する2つを同時に叶えるためにいろいろな方法を模索していきます。

 

  • 医者にコルセットをつくってもらい、寝る時とお風呂入る時、水泳の時以外身体に巻いて腰椎への負荷をなくしたり
  • 毎日世界で活躍している選手の走り方を文字通りビデオテープが擦り切れるくらい見たり
  • 寝る前に自分が速く走れている姿をイメージして興奮して寝不足になったり
  • 自分で陸上関係の資料を取り寄せてトレーニングについて独自に研究したり

今までの自分では考え付かないような方法をいろいろやりました。

 

まさしく、コーチング元祖ルータイスのアファメーション通りです。

陸上部を引退した僕は、何も取り柄がない空っぽの人間だったと気づく

陸上部を引退して知ったことは、走ること以外何も取り柄がない自分の存在です。

 

僕は中学から大学まで、ほぼ毎日陸上漬けの生活を送ってきました。

何人かとお付き合いをしたり、友達と遊びにいく事もありましたが、それでも僕は陸上中心の生活を送り、自分の持ってる力のほぼすべて(青春)を速く走ることに費やしてきました。

 

そして確かに、走る事に関しては人並み以上のスキルと知識と経験を手に入れましたが、それ以外はほぼ皆無でした(笑)

つまり、ぼくから陸上競技を取ったら何も残らなかったわけです。

 

「あれ?オレ、これから何を取り柄に生きればいいんだ?」と激しい不安と虚無感に襲われながらも、現実から逃げるように卒論に取り組んだりしていました。

 

そして結局、陸上以外のよりどころを見つけることなく、空っぽの森昇として社会人になってしまいました。

 

そういう意味でも、いろんなことにチャレンジして、自分のスキルを高めたり拠り所を創るのって大事だなぁと思いますね。

 

 

普通に考えて詐欺以外の何物でもないし、楽して稼げるようになるビジネスなんて存在しませんが、焦ってた僕は情報商材が輝いて見えました。

「これをやったら、オレも年収数倍になれるぞ!」と心踊る状態でしたが、結果は上手くいかず、情報商材を売ってた会社はとんずら。

 

その時に僕は、「稼ぐことは人を騙さないと出来ないんだ」「儲けてる人は悪い事をしてる」という信念が刻み込まれ、独立起業に対してメンタルがブロックされました。

 

だけど数年後に菅谷信一さんの書籍と出会い、「誠実な人でもビジネスをやっていいんだ」と腑に落ちてメンタルブロックが壊れえたことで、いまでは心の底から誇れるやりたい仕事をするようになりました。

情報商材に騙された森昇が菅谷信一さんの本のお陰で独立して活躍できてる話。誠実な人もビジネスが出来ると教えてくれた!

2017.11.28

 

 

本格的にコーチングを使って、自分の中にある囚われに気づいて激変した

会社を辞め、コーチングスクールを卒業して、クライアントさんからの依頼も来るようになりました。

 

だけどどうしても、心の奥底にブレーキをかけている状態が続きました。

目の前にさらに自分を飛躍させる方法はあるし、チャンスを掴めるにもかかわらず、いろんな理由を付けてやらない状況を創ってました。

 

「なんかおかしい・・・」

 

コーチングを実践し続けて心の違和感を鋭く感じ取れるようになった僕は、自分の本音にもう一度向き合う事にしました。

 

そしたら、ありました。自分でも気づいてない本当の本音が。

 

それは子どもの頃に言われた

「長男だから母親を守ってあげなさい」

「お母さんが孤独になるから、ずっと一緒にいてあげなさい」

という、周りからの言葉。

 

それを子どもだった僕は、「分かった!」と素直に受け入れ、ぼく自身の信念となっていました。

 

つまり、「稼げない自分を演じることで、親との関係性を維持したい」というものです。

 

何を達成するかは、ほとんどの場合、何を信じるかによって決まります。
<アファメーション ルータイス著p37>

 

母親は「あなたの好きなように生きなさい」と言ってましたが、周りからの「一緒にいてあげなさい」という言葉によって信念が出来てたので、なるべく離れないように自分自身の能力を制限していたわけです。

 

そのことに気付いた時は、1週間くらいショックでした。

まさか自分が子どもの頃の言葉に囚われてると思わなかったからです。

 

だけど気づけば、変えることができます。

 

つまりは

  • 稼げない自分を演じて親との関係を維持するのか?という現状維持
  • 稼げるようになって、別の方法で親も喜ばせるのか?という自己変革

です。

 

僕はもっともっと人生を良くしたいと思っていました。

 

なので後者を選び、それにふさわしいようにセルフコーチングを行った結果、コーチとしてもどんどん活躍できるようになりました。

 

ここら辺の話については、下の記事を参考にしてみてください。

独立起業しても稼げない事で家族との繋がりを保ちたい無意識の本音を知ってショックだったけど、本心と向き合う事で稼げるようになった

2018.01.12

 

 

そこで感じたことは「経営者は本気で従業員の給料を上げる事や休み撮ってもらうことを悩んでる」ということです。

 

たしかに世間では「ブラック企業」とか名称を付けられたり、経営者に対して風当たりが強い部分もありますが、そういう労働者を酷使する人達はほんの一部で、実際に話をした人達は本気で従業員のことを考えてました。

 

だけど多くの経営者は志があれども、マインドの使い方や経営戦略に乏しいため、どうしても解決策が見いだせず日々の業務に追われている状態でした。

 

なので僕は経営者がコーチング理論を取り入れてマインドの扱い方が上手になり、経営戦略もしっかりと使えるようになれば会社の利益も上がるし、労働環境も改善できると判断しました。

 

つまりそれは僕のゴール達成にも大きく近づくし、嫌々働いて消耗する人が激変するということになります。

なのでぼくは個人と合わせて中小企業の経営者向けにもコーチングとビジネスを合わせたサービスを提供するようになりました。